「すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』」 マタイの福音書 25章45節

40節にも似たことばがありました。表現、結論は逆です。
二つのたとえ話の解き明かしであり、結論が繰り返されています。
最初の話は「空腹の人、渇いている人、宿を探す旅人、服を与える人、病気の人、牢に入れられている人」を助けた人のことを言います。
次の話は「空腹の人、渇いている人、旅人、服を与えるひと、病気の人、牢にいる人」に、与えることをせず、助けることをしなかった人への、解き明かしです。

イエス様は、このような弱く、小さな一人に対して、愛とあわれみの心で接して、自分から犠牲を払う人と、知らないふりをする人が、最終的には、主の前で裁きを受けることを示します。
愛し、助けた人は、御国を受け継いで、いつまでも永遠に主イエスとともに生きることが約束されています。

何故なら、主はご自分から最大の犠牲を払って、私たちを愛してくださったからです。
主イエスに、愛されていることを知っている人は、イエス様に倣って生きるのです。
毎日、一歩づつ主イエスに似た人へとなってくことを求めるのです。
それが主イエスの愛への応答です。

小さい者を軽んじたり、愛さない者は、主からの祝福を受けることができません。
心に刻んでおきたい。主は祝福しようとしておられるのです。
あなたの近くにいる小さい者は、主イエスの愛を写す存在です。
大切に接して、愛したい。私が主イエスに愛されたようにです。

シャローム