「わざわいだ、律法の専門家たち。おまえたちは知識の鍵を取り上げて、自分は入らず、入ろうとする人々を妨げたのだ。」 ルカの福音書 11章52節
「わざわいだ」と、イエスさまは指摘します。42,43,44,46,47,52節と、語られます。
幸いだと、山上の説教で語られたのと、対をなして厳しい言葉が語られるのです。
律法の専門家たちは、ユダヤの人々の内の誰よりも律法に通じているはずなのです。
ところが、彼らは律法は読んでいても、その内容を心から知ろうとはしないのです。
形ばかりを気にします。
42節で「正義と神の愛をおろそかにしている」と、指摘されている通りなのです。
自分で入らずとは、正義と愛を実践していないことを示します。
さらに、人々がそれを実践することを妨げるような教えを伝えてきたのです。
神さまから委ねられたユダヤの人々を神の前に導くことをしないで、自分たちが尊敬されるように振る舞うばかりなのです。
それなのでイエスさまにわざわいであると、厳しい言葉を掛けられる
ことになったのです。
信仰は日々の生活での実践です。
シャローム