「では、聞いていながら反抗したのは、だれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た、すべての者たちではありませんか。」ヘブルへの手紙 3章16節
3章では「御声を聞くなら」と繰り返されています。
御声を聞いていながら、反抗するとはどういうことでしょう。
聞いたけれども、そのことばを信じられなかったので、従わなかったというのではありません。
聞いたことは、奴隷の状態から、主によって救い出されるという経験をして、その恵みについて主が語ってくださったのに、主のことば、主の御声に従わないで、好き勝手をして反抗したということです。
それは与えられた、主の愛によって注がれた恵を捨ててしまったということです。
主の恵みを喜ぶよりも、罪の支配下にあるエジプトの目に見える豊かさを望んで、主のことば聞いていたのに、捨てたのです。
ここに「すべての者たち」とあります。
私たちも例外なく、御声を聞かなかったのではなく、聞いていながら反抗して、主の恵みを捨ててしまう愚か者になる危険があるのです。
ですから御声を素直に聞くことを、いつも心に留めたい。
聞くことが祝福の始まりです。
シャローム
