「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。」使徒の働き 24章16節
「最善を尽くしている」は、直訳すれば「務めている」となります。
パウロは、人の復活とその時に神のさばきがあることを信じて、それを語り、証しすることに務めているのですと、裁きの場で証言しているのです。
そのことをするために、隠したり、誤魔化したりしないように心から務めているいうのです。
「神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つ」とは、嘘偽りのない証言をすることに務めているという意味です。
それに対して、訴えている人たちは6節で「宮を汚そうとしました」と嘘の訴えをしています。
その上、裁判官でもあるフェェリクスをおだてるような言葉を並べて訴えます。
しかし、彼らこそ宮ではなく宮の主である神様のことを汚すようなことをしているのです。
彼らは、自分の言葉で自分自身をさばくことをしているのです。
彼らがフェリクスさえも騙して、パウロを罪に定めようと良心を捨てています。
しかし、フェリクスもまた、26節にあるように、この訴えを利用してパウロから金をもらいたいと考えて、さばきを先延ばしします。
良心には従いません。自分の使命を果たしません。
このような人たちの思いの背後にさえ主は働いてくださり、パウロを助けてローマへと導くのです。
小さなことをも忠実におこない、神と人の前に良心を保つ言葉と行動をするならば、主が守ってくださるのです。
最善を尽くすといわれると難しい気がしますが、良心を保って、主に心から仕えることに務めるのです。それは可能です。
シャローム