「王はクシュ人に言った。「若者アブサロムは無事か。」クシュ人は言った。「王様の敵、あなた様に立ち向かって害を加えようとする者はみな、あの若者のようになりますように。」」 サムエル記 第二 18章32節
戦いの中でアブサロムは命を落とします。
ダビデの周りの人は、それをダビデに伝えることを躊躇します。
それは謀反を起した息子であってもダビデがアブサロムを愛していると知っていたからです。
そして、それは皆が思っていた通りです。
ここでダビデにアブサロムの死を伝えたクシュ人は、アブサロムが死んだことを報告するのに、ことばを選んでいます。
王様の敵、王ダビデに立ち向かって謀反を起すような人は、主のさばきに会うのだと伝えています。
しかし、次の節を読むと、ダビデは部下たちへのねぎらいの言葉もないばかりか、アブサロムの死を悲しむばかりでした。
「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」
「わが子」と「アブサロム」の名前を繰り返して嘆き悲しむのです。
しかし、これは2つの点で大きな間違いでした。
1つは、命がけで戦った部下たちへの配慮がないことは、部下たちを悲しませて、ダビデに対する信頼を失わせます。
2つ目はもっと大きな間違いです。
それは主がダビデの命を守ってくださったことへの感謝がありません。
アブサロムへの愛がダビデの信仰の目を曇らせて、その唇に正しい言葉を上らせることをしなかったのです。
私たちは、悲しみは十分に悲しむべきです。
しかし、そこにある主の愛と恵に対する感謝を失ってしまってはいけないのです。
それはやがて、自分の身に災いを引き寄せます。
どんな時でも、主への感謝を忘れない信仰者でいよう。
シャローム