「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人、おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。」 マタイの福音書 23章13節
13節の後15節に飛んでいますが、異本には14節を加えて、13節と同じ表現で始まる「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人〜」を加えるものもあります。
そして13節以降では、6回もわざわいだと、、偽善の律法学者、パリサイ人を叱責することばが繰り返されます。
彼らは心から主を信仰することはなく、形ばかり、見栄えばかりをよくして信仰深い、義人の振りをするのです。
しかし、主を愛し、主の前に悔い改めることもない人たちだと、イエス様は叱責します。
それは主の悲しみでもあります。
主は、罪人が一人でも悔い改めることを望み、その人のことを喜ばれるからです。
見栄えなど悪くてもよいのです。
主イエスを愛して、主のことばを聞いて従おうとすることが大切です。
わざわいだ、とイエス様に言われてしまうようなことがないようにと切に祈り願う朝です。
シャローム