「彼はきよい燭台の上に、そのともしびを主の前に絶えず整えておく。」 レビ記 24章4節

主のともしびは、主の聖さを示します。
きよい燭台は、黄金で造られた混じり物のない、主の聖さを現すものです。
これを絶えず献げることで主の聖さによって、私たちがきよめられていくことを現します。
絶えずというのは、主の前に私たちはいつでも進み出ていけることを示します。主の聖さとともにあわれみ深く私たちを受け入れてくださることを現します。

これは3節にあるとおり、代々守るべき永遠の掟です。変えてはいけないのです。

この後、安息日の礼拝の時に、ともしびを絶えず整えることが命じられます。
しかし、安息日ではない6日間にもいつも主の聖さを忘れないために、日々、絶えずともしびを整えるのです。
朝ごとに、夕になってともしびを整えることで、私は主に整えられ、主の聖さに近づき、主に祈ることを忘れないようにできるのです。
私は弱いのですぐに主を忘れ、自分勝手に歩みそうになります。
けれどもともしびを大切に扱い、整えていくことで、主への心と生活が整えられるのです。

現代の私たちの家には燭台とそこにともしびはありませんが、朝ごとにみことばに耳を傾け、祈るときに、信仰のともしびが整えられていくのです。
祈りは、願い、感謝だけでなく、祈ることを通して、私が整えられる時間になります。

シャローム