「アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。」 サムエル記 第二 17章14節

強い力を得たアブサロムは、なんとしても機会を捉えてダビデを打ちたいと願っていました。
これまで良い助言をしてきて、ダビデにもアブサロムにも信頼されていたのは、アヒトフェルでした。
彼は、アブサロムがダビデを打つことができる良い助言をします。
アブサロムも全長老も、その助言を気に入りました。
しかし、アブサロムはフシャイの助言も求めました。
そして、フシャイはアヒトフェルの助言は良くないと語り、別の助言をします。
これはフシャイがダビデを助けるためのものでした。

しかし、アブサロムたちは、フシャイの助言を受け入れるのです。
何故なら、ここ14節にあるように、主が働かれているからです。
14節は、2度繰り返して「主が」と教えます。
主に祈り、主に委ねて、主に従って、この逃亡の時も歩むダビデと違って、アブサロムは主に祈りません。
人の助言と力ばかりを求めているからです。
ですから、主は、アブサロムに主が愛するイスラエルを任せたりしないのです。

主に信頼し、主に従う人の歩みには、主が働きかけてくださり良い結果へと導いてくださるのです。
たとえ苦しい道、暗い谷底を歩んでいるような時があっても、主は必ず良い恵みを与えてくださるのです。

「主が」とある通りです。
主が私の神、主であり、私の盾であり、私の同伴者です。

シャローム