「多くの者は身を清めて白くし、そうして練られる。悪しき者どもは悪を行い、悪しき者どものだれも理解することができない。しかし、賢明な者たちは理解する。」ダニエル書 12章10節

ダニエル書の最後は、終末の日に起きることを示して終わります。
正し、ダニエルに告げられた預言は象徴的なものであり、それをすべて知ることはできません。
ダニエルも理解できませんし、主はそれが隠されているということだけを教えてくれるのです。

しかし、終末の日は来ます。そしてその日には死んだ人はよみがえり、信仰者には救いの完成の日となります。
その日まで、人々は預言の意味を探ろうとしますが、それを知ることはできないのです。
その日まで、信仰者は主に倣ってきよい者となっていくように歩み、練られていくのです。
苦難も伴いますが、練られてふさわしい人となって、終末の日にイエス様とお会いするのです。

しかし、終末の日まで、時間が与えられているのにも関わらず、悪しき者は悪から離れることはなく、悔い改めることもなく、主のことばを知ることもなく、最後の時を迎えることになります。

しかし、信仰者はこの世の知者ではありませんが、主の前に賢い者となって主のことばを聞くことができ、整えられていくのです。
終末の日が、何年の何月、何日であるかを探り求めることよりも、その日に向かって練られていき、主のことばを朝に夕に求めることが大切なのです。
そこにこそ、喜びと祝福があります。
練られることは喜びです。

シャローム