「その人は弟のところに来て、同じように言った。弟は『行きます、お父さん』と答えたが、行かなかった。」 マタイの福音書 21章30節
父が2人の息子にぶどう園に行って働いてくれるように言ったという例え話です。
兄は「行きたくありません」と答えますが、後になって思い直し、出かけて行きます。
弟は「行きます、お父さんと」答えたが、行かなかったとの話しです。
この話しを、イエス様に告げられたのは祭司長や民の長老たちです。
彼らは答えて、兄が父の願った通りにしたと言います。
イエス様は、兄は、バプテスマのヨハネの話しを聞いて、自分の罪を悔い改めて神に立ち返った取税人や遊女たちのことだと、教えます。
そして、弟は自分たちこそが正しい者であり、神の国に入る資格があると考えており、取税人や遊女たちを罪人と批判しながら、自分は一向に悔い改めない者のことであると教えます。
そして、それはヨハネの言葉を聞いても、今、イエス様のことばを聞いても悔い改めることのない祭司長や民の長老たちのことだと指摘します。
形ばかりの信仰を誇り、隣人を罪人として見下して一向に神のことばを心から聞くことがない人たちこそが、神のさばきの前に立たなければならない人だとの指摘です。
このことば、指摘は、祭司長や民の長老たちを怒らせますが、残念なことにこの時にも彼らは食い改めることができません。
そして、その後は、恐ろしいイエス様の殺害を計画するのです。
私たちは、自分を誇る前にイエス様のことばを素直に聞く者でいたい。
そして、自分を誇って生きるよりも、悔い改めることを自分の友人として歩みたいものです。
シャローム