「ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った。彼と一緒にいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。」 サムエル記 第二 15章30節

15章になると、いよいよアブサロムが父であるダビデ王に対して謀反を起します。
その方法は、狡猾で十分に準備したものです。
戦車と馬、自分の命令で行動する50人を手に入れます。
次に、さばきを求めて王のところに来る人を、その門の前で待ちかまえて、王を批判しながら、自分ならば解決できると語りかけるのです。
聖書はそのことを6節で「イスラエルの人々の心を盗んだ」と、記します。

最初から最後まで、アブサロムは自分の知恵と力に頼ります。
復讐のためにアムノンを殺した時も、狡猾な方法で、ダビデ王も人々も騙して実行しました。
今もそうなのです。

一方のダビデは、息子のアブサロムと戦うことを避けて王宮から逃げます。
ダビデは主が愛し、主の神の箱があるべき場所のエルサレムを戦いの場にはしないのです。

そして、逃げて、オリーブ山で主を礼拝し祈ります。
泣きながら山に登り、頭をおおい、悲しみを現して祈るのです。
ダビデとアブサロムの決定的な違いは、ここにあります。
主に祈ること、主に委ねること、主のさばき、主の知恵に任せることができるのがダビデです。

しかし、アブサロムにはそれがまったくありません。
祈ることもなければ、主に頼ることもないのです。
どこまでも自信に溢れて、計画を練り、準備して行動します。
でもそれだけです。
主を畏れることがない人には、主の恵みと祝福はないのです。

私たちは、時に涙を流し、悲しみを現して、主に祈ろう。
それは恥ずかしいことではなく、主を信じている証しである祈りとなります。
主は、そのように祈る人を見捨てない。

シャローム