「わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した。わたしは主である。」 レビ記 22章33節

祭司は徹底的に聖であることが求められることが細かく示されます。その次には、聖なる献げものに関して示されます。
イスラエル人は、聖なる主を礼拝し、自分も聖であることを求めることが強調されます。

何故、このように聖であることが求められ、厳しく命じられるのか。
それは主が聖であから、罪と汚れを日常から離れて、聖であることを求めるのです。

では何故イスラエル人が、聖であるべきなのか。
ここ33節に、2つの理由が示されます。

1つは、主がイスラエル人を愛して選んだからです。
「あなたがたの神となるために」とは、選びが特別であることを示します。
選ばれているのですから、聖なる主のものとなった人は、聖でなければならないのです。

2つ目は、主が救い、連れ出してくださったからです。
「エジプトの地から導き出した」とは、罪と苦しみから連れ出してくださったということです。
引き出され、離れたはずの罪や汚れとは絶縁して聖であることを求めるのです。

わたしは主であると、主が、私の主であることを繰り返して宣言されます。
この聖なる主のものとして聖であることを求め続けるのです。
それは苦しいことではなく、喜びと平安に繋がっている歩みです。

シャローム