「彼らはそれを受け取ると、主人に不満をもらした。」 マタイの福音書 20章11節
ぶどう園の主人が、雇った人たちに、惜しみなく気前よく賃金を支払うたとえです。
朝から働いていたこの人は、一番最後に雇われた人が、自分と同じ賃金をもらえることに不満をもらしたのです。
主人は、彼に約束をした金額を支払うことは正しいことであり、最後に短い時間しか働かなかった人にも、主人は気前よく支払ってあげたいのだと、心を明かします。
実は、朝から働いたというこの人も、当時の仕事、求職に照らせば、その日の仕事に漏れてしまった人でした。
しかし、このぶどう園の主人は、そのようなもれ落ちた人、取るに足りないように思われる人を、選び破格の賃金を支払っているのです。
本当ならば、この人はこの金額の半分でも満足すべき立場なのです。
ところが受け取っておきながら、不満をもらすのです。
惜しみなく愛して与えてくださる主と、不平不満ばかりで隣人をあわれむ心のかけらもない罪人の姿が対照的です。
私はどうだろうかと思いました。
この後で、解き明かしをしてくださるイエス様のことばを聞くと、主人が与えてくださるのはただ気前が良いだけではないことが分かります。
何故なら、主人はイエス様であり、十字架の上でご自分の命を私に与えてくださることが示されレウからです。
主イエス様からの恵を感謝して受け取りたい。喜びたい。
受け取りながら不満をもらすような者にはなりたくないものです。そして、隣人と比較して、その人を悪く言うようなことも避けたいものです。
ただただ、喜び感謝して主の恵みを丸々受け取りたい、そして信仰の友人と分かち合いたいと思います。
シャローム