「そうでなければ、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そうです。わたしはあなたがたに言います。預言者よりもすぐれた者を見に行ったのです。」 マタイの福音書 11章9節

2節続けて「何を見に行ったのですか」と、イエス様は問われます。
それは皆が見たのに、何も見ていいないのと同じで、全く分かっていないことを指摘しているのです。
人々は、素晴らしい預言者がいると聞けば、その人を見に行きますが、本質、大切なものを見ることができていないのです。
自分の目で見たとしても、信じることができないならば、そこに意味はありません。

人々に必要なことは、イエス様のところに来て、イエス様のことばを聞くことです。
イエス様を見ることではありません。
15節になると「耳のある者は聞きなさい。」と語られます。

関心を持って求めるべきは、神様のことばです。
神様の姿ではないのです。
もちろん、預言者の立派な姿でもありません。預言者の語ることばであり、証しです。

私たちは、よく聞いてそして信じるのです。
私に必要なことは、すべてイエス様が語ってくださいます。
今朝、もう一度、聖書のことばよく聞きましょう。
主は、あなたのために語っておられます。

シャローム