「それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。」使徒の働き 12章3節

1節、2節にヘロデ王が教会の人たちを苦しめようとしたこと、そして、その行動によってヤコブを殺したと、記されています。
苦しめようと、計画をして行動するとは、恐ろしいことです。
罪深いヘロデ王の姿があります。いえ、ヘロデ王だけではなく私たちの中にある罪です。

しかし、続く3節は、もっと恐ろしい。
教会の人が苦しめられ、そしてヤコブが殺されたことを知って、喜んでいる人がいるのです。
苦しめる人よりも、それを見て喜ぶ人の方が、何倍も罪深くて恐ろしいと感じます。

しかも、ヤコブが殺されたのは、種なしパンの祭りの頃なのです。
主が、ユダヤ人を奴隷となっていたエジプトから救い出してくださったあの夜を起点とする大切な祭りの時期なのです。
その時に、同胞であるヤコブが殺されたことを喜んでいるのです。

あわれみ深い主の前に、何という恐ろしい罪でしょうか。
こんな人たちを主は救ってくださったというのでしょうか。
そうです。
そしてそれは私の中にもある罪であることを忘れてはいけないのです。

苦しみ涙する人と、ともに涙するのか。
それをあざ笑い喜ぶのか。
あわれみ深い主の助けと恵みを、どのように受け取っているのかが問われます。

シャローム