「しかしウリヤは、王宮の門のあたりで、自分の主君の家来たちみなと一緒に眠り、自分の家に帰らなかった。」 サムエル記 第二 11章9節
ウリヤの妻バテ・シェバと姦淫の罪を犯したダビデは、その罪を隠すためにウリヤを戦場から呼び戻します。
ウリヤがダビデの企みを見抜いていたのかどうかは分かりませんが、ウリヤは戦場の家来たちを置いて、自分だけ家でゆっくり休むことをしませんでした。
その結果、この後、ウリヤはダビデの策略で戦場で死ぬことになります。
ダビデの一番の罪は姦淫の罪以上に、ここにあると言えます。
バテ・シェバとの間で犯した罪、ウリヤを亡き者にしようとした罪。
ダビデの罪は、ウリヤの正しい行動と対照的です。
ウリヤと言う名前の意味は「ヤハウェイは、我が光」です。
ダビデの罪がウリヤの正しい行動と言う光に照らされて暴かれているようです。
私たちは罪を犯してしまうことがあるかもしれません。
私たちは完全ではないし、弱さを持っています。
しかし、罪を犯した後でそれを隠そうとしたり、無かったことのように振る舞う方が、主の前にもっと大きな罪です。
ウリヤはこの時、主の戦いを家来と共に戦っていました。それは正しい戦いでした。
しかし、一人だけ宮殿に残っていたダビデは、いつの間にか主の戦いを戦い抜くことを忘れて、罪の誘惑に負けてしまったのです。
そして罪を重ねました。
私たちは、いつも主の光に照らされて、主の義と主の愛の前に正しくありたいと求めることが大切です。
完全にできなくても、求め続けて主の前にたち、主の光に照らされて恥じることがないようにしたい。
シャローム