「瞳のように私を守り 御翼の陰にかくまってください。」詩篇 17篇8節

ダビデが主の保護、助けを求める祈りです。
9〜12節を読むと、この時、ダビデが不当な訴えで訴えられて苦しめられていることが分かります。
3節「私を問いただされました〜何も見つかりません」と、ダビデが正しく行っていることを訴えます。
また「口の過ちを犯さないように心がけました」と、告白しています。
ダビデが、真実の祈りをしており、その口に偽りを語って、隣人を苦しめたことがないと、訴えているのです。
同時に、心から祈りを捧げていることを告白しているのです。

聞いてくださいと、1節で叫び。
呼び求めましたと、6節でも叫び。
助け出してくださいと、13節、14節で繰り返すのです。
ダビデは主にだけ頼ります。信じて待ちます。

ここ8節では、大切な瞳でよく見るように、細心の注意を払って見守ってくださいと願うのです。
主の愛を知る人は、主の瞳で見抜かれさばかれることを恐れる必要がありません。
主の瞳は、どこまでも優しいのです。
続けて願い求めます。
ひなを守る親鳥のように、全能で愛の御翼の陰で守って、助けてくださいと願うのです。
この陰にいるならば、どんな風が吹き荒れ、敵が現れても恐れる必要ことはないのです。

だびでは、主に絶大の信頼を寄せ、助けがあることを確信しています。
主の愛の瞳で見守られ、その御翼の陰に住むことができるならば、何も恐れることはありません。
不安、恐れは飛び去り、暖かく安らぐことができるのです。

詩篇らしい美しい調べの信仰の告白です。
今、私たちは新型コロナウイルスの感染を避けるために、大きな声で歌い賛美することを控えています。
それでもこうして詩篇を読み、聞くことで賛美の声を共に上げることができるのです。
シャローム