「私のたましいは窒息を、私のからだではなく死を選びます。」ヨブ記 7章15節
列王記第1 19章4節で、預言者のエリヤが心が萎えてしまい、弱くなった時に、悪王であったアハズ王とその妃イゼベルから、逃れて荒野へ隠れて、もう命を取ってくださいと、主に祈り求めたのと、同じように今、ヨブは死を願い始めています。
主は与え、主は取られると、造り主であり、全能者である神様への信仰を持っていたヨブでした。
しかし、身体や心の傷み、子どもたちを失う悲しみに加えて、信頼して友人からに厳しい言葉で責められて、ついに、神に向かって反論し、死を願うまでに傷んでしまったのです。
その痛みとは、たましいの痛みであり、信仰が揺らぐ痛みでした。
ここでは「私のたましいは窒息」を願うと、たましいが既に窒息して死んでしまうほどだと訴えています。
しかし、預言者のエリヤもそうでしたが、ヨブもまた、主に命を取ってくださいと、願うのです。
自分に命を与え、命と毎日を支えてくださっているのは、主なる神様であることを信じる心は、決して失わないのです。
苦しみ、痛みの中で、神様に暴言を吐いたり、呟き続けてしまっったとしても、神様に背を向けて、神様の前から去ってしまうよりは、数倍よいと思うのです。
呟きも文句も、神様の顔を見上げて、真っ直ぐに声をあげて祈る者でいたい。
私たちの神、主は、どこまでもあわれみ深い方なのだから。
シャローム
