「今、ぜひ、私の方に顔を向けてくれ。あなたがたの顔に向かって私は決してまやかしを言わない。」ヨブ記 6章28節
友人エリファズの問いかけ、ヨブを責める言葉に対して、ヨブが答えます。
ヨブは、自分の正しさを訴えます。
そして、神が自分をさばかれるならば、拒むことはできないと言います。
けれども同時に、本当に自分が正しくないことをして神にさばかれているのかと。訴えます。
ヨブのその言葉の背後には、苦しむ心があります。
そして友人だと思っていたエリファズからの厳しいことばに、更に傷つき苦しんでいます。
ヨブは、エリファズに訴えるのです。
「今、ぜひ、私の方に顔を向けてくれ」と、語ります。
それはエリファズが、いわゆる一般論を振りかざしてヨブを責めていて、ヨブのことを見てくれていない。
痛むヨブの心に寄り添ってくれていないことへの、悲しみの心からの訴えです。
ヨブは罪を隠したりしないのです。
でも、苦しい心の今、何をどのように訴えて、助けを求めれば良いのかも、分からなくなっているのです。
ヨブを見て、見続けていくことが愛です。それが本当はエリファズに必要なことでした。
私たちは、エリファズのような行動を取ってしまうことがないでしょうか。
私たちは、痛む人に寄り添う時に、答えを、それも自分が納得できる答えを求めるのではなく。
主の御心を探りつつ、痛む友人に、どこまでも寄りそう愛を持ちたいと教えられるやり取りがここにあります。
言葉はなくても、共にいることが大切な愛の行動となるのです。
シャローム
