「どうか、主が私とあなたの間をさばき、主が私のために、あなたに報いられますように。しかし、私はあなたを手にかけることはいたしません。」サムエル記 第一 24章12節
逃亡生活の中でダビデにサウル王を討つ絶好のチャンスが訪れました。
洞穴の中に潜むダビデの前に、ちょうど死角となっている状況でサウル王が無防備で現われたのです。
ダビデの部下は、これは主がサウロ王を倒す機会を与えてくれたのだと言って、敵を倒すべき時だと進言します。
しかし、ダビデはサウルは主が油を注がれた王だと言って、サウルに切りかかることをしません。
その代わりに上着のすそを切り取って、殺す機会があったのにそれをしなかったとことで、ダビデには謀反や悪意がないことを示すのです。
そして、サウル王にこの言葉を告げます。
ダビデにはサウル王に対して、一切の悪意がないことを示します。
同時にこの言葉は、主への信仰の告白です。
主が、完全な義の方であることを告白をして、主が、ダビデの無実を証明して、ダビデを守ってくださると、信じて告白をするのです。
さばき主は主なる神です。
他の人がなんと言おうと真実は主によって証しされ、主によっておこなわれると信じるのです。
苦難のただ中でこれを告白し、その告白の通りに自分が行動をするのは大変です。
この時、サウル王を殺せば、ダビデの危険はなくなるのです。
実際にところ、サウルはこの後も悔い改めたように告白しながらも、またダビデを追いかけるのです。
ダビデの実生活での危険は変わらないのです。
しかし、大切なことは主の前に、どのように歩むのかです。
主を、どのような方と信じて告白し、その自分の告白に従って、行動するのかが問われるのです。
今日も明日も、変わることがない真実で愛の方に従い、期待をもって歩みたいものです。
良い報いは、必ず主から届きます。
シャローム