「王は、そばに立っていた近衛兵たちに言った。「近寄って、主の祭司たちを殺せ。彼らはダビデにくみし、ダビデが逃げているのを知りながら、それを私の耳に入れなかったからだ。」しかし王の家来たちは、主の祭司たちに手を下して討ちかかろうとはしなかった。」 サムエル記 第一 22章17節
サウル王に祭司アヒメレクがダビデを助けたことが伝えられると、サウルは怒り、アヒメレクとその家族を殺すように命じます。
しかし、それはアヒメレクを殺すことに留まらず、主に逆らい、主の具体的に敵対することを示します。
聖書はここで「主の祭司」と、人としてのアヒメレクという人物ではなく「主の祭司」という立場、使命に生きるアヒメレクを殺すことになることを明確に示します。
主の祭司と言うことばが、ここには2回使われています。
そればかりか家来たちが主の祭司に手を下すことをしない状況を示して、サウル王の罪を明らかにしているのです。
アヒメレクの心のうちは分かりません。ダビデがサウルに追われていることが分かっていたのか、まったく知らなかったのかは計りかねます。
しかし、家来たちの行動からも、人の命令ではなく主のことばに従うことを私たちはいつも選ばなければならないことが教えられます。
人からの命令が、たとえ王(高い地位にある人、力ある人)からの命令であってもです。
サウルはいつの間にか、主の敵対することさえも恐れない人になってしまったのです。
それは一つひとつの小さな罪をそのままにして来た結果です。
ダビデを嫉み、憎しみへと悪の心を大きくし、悔い改めなかった結果です。
主の前に、今の私の心は正しいのかどうかをいつも祈り、吟味できる者でいたい。
シャローム