「死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」ヘブルへの手紙 2章15節
ここ2章では、イエス様が父と同じ「完全な神」であることと私たちと同じ「完全な人」となって地上に来られたことを示した上で、イエス様の働き、その力を示します。
私たち「人」を助けるために来てくださったのです。
当時の人々の間には、御使に対する間違った理解や期待といったものがあったようです。
それなのでハッキリと16節で、御使を助けるためではなく、アブラハムの子孫である私たちを助けてくださるのだと教えます。
イエス様は、私たちの罪を赦すことができます。
そして、私たちを天の御国へと導き入れてくださいます。
それはこの地上ので生涯が死で終わるのではなく、その先に神とともに生きる約束があることを教えてくれます。
私たちは、人というものは必ず「死ぬ」存在であると知っています。
でも、本当に知っているでしょうか。
死を見据え、死を理解し、死を受け入れているでしょうか。
人は実は「死す」ことを受け入れることはできないと、ここは教えます。
死から逃れられない、死に奴隷としてつながれているだけのことだと教えます。
それは死を恐怖し、死に縛られ繋がれているから。
しかし、イエス・キリストを、私の救い主と信じた人は、その瞬間に罪が赦されて、もはや罪によってさばかれることもなく、永遠のいのちを持って、イエス様と共に生きるようになるのです。
その人は死は恐怖する終わりの時ではなく、神の約束が実現する時になります。
死の恐怖に繋がれたままにはなりません。
恐怖ではなく、期待と希望と結びついているのです。
永遠のいのちと御国での神とともに生きること、それが死の先にあると信じることができる人は幸いであり、自由な人なのだと、ここで教えます。
信じます。
シャローム
