「二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰っていった。」使徒の働き 8章39節
求める人には主は惜しみなく与えて祝福してくださるということが、まさにこの日に実現しています。
宦官はエチオピア人です。異邦人ですから、エルサレムで彼が心からの礼拝をしても、祭司たちからは歓迎されず、悲しみ、空しさや物足りなさを感じて帰路についたはずです。
そして彼は、聖書を読み、悲しみの救い主の姿を読みました。
しかし、宦官は求める人でした。
34節「お尋ねしますが」と、謙遜に、しかしハッキリと尋ね、求めています。
36節「何か妨げがあるでしょうか」と、やはり謙遜に、しかし、求めます。
洗礼を求めます。
イエス様のこと聖霊に導かれて宦官に語ったピリポです。
洗礼を授けます。
宦官は喜びに満たされます。
もちろん、ピリポもともに喜んだはずです。喜びました。
しかし、地上での交わりは、その時で終わります。
けれど、宦官はもう空しく帰路につきません。
「喜びながら帰っていった」
喜んで、喜びが現在進行形で続きながら、帰ったのです。
そしてこの二人は、やがて天の御国で喜びながら再会を果たします。
その場に、私も居たいと思いました。
そして、私も同じような喜びを分かち合う信仰の家族、信仰の友が今、居てくれることを喜んでいます。
やはり、やはり!ここ8章は異邦人(私)にとって素晴らしい喜びの章です。
シャローム