「一方、サウルの軍の長であったネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテを連れてマハナイムに行き、」サムエル記 第二 2章8節

サウル王の死後、ダビデは主に油注がれて召された者という自覚の元で、王として立ちます。
その最初に主に祈り求めて、どこに住むべきかを尋ねていきます。
そして、人々にこれからはダビデを王として認めて従うように求めます。

ところが、ここ8節には、最初の言葉として「一方」とあります。
ダビデを王として認めたくはない人が、サウルの子で生き残っているイシュ・ボシェテを王とするのです。
この時から、ソロモン王の死後には、イスラエルの国が南と北に分裂してしまう兆しが見えるようです。

しかし、注目すべきはこれです。「一方」
1節では最初にダビデは「主に伺った」と記されました。
ここでは、将軍アブネルは、主に伺うこと、祈ることもなく、自分で王を決めるのです。
一方というのは、私には、主に敵対していく一方の人と、聞こえます。

自分に都合が悪い、思い通りではないと、感じたとしても(この場合、サウルの子ではなくダビデが王になること)、そうだとしても、主に祈り、主の声を聞かなければいけないのです。
主にはご計画があり、それはアブネルにとっても祝福されていく計画なのです。
それを知ろうとしなければ、祈らなければいけないのです。

自分で行動する時には、主に伺い祈ることを忘れないよ言うにしたい。

シャローム