「私たちに権利がなかったからではなく、あなたがたが私たちを見習うように、身をもって模範を示すためでした。」テサロニケ人への手紙 第2 3章9節

律法の規定によって宮で神様に仕える祭司は、信仰者に支えられることになっています。それは祭祀は主に養われるということです。
同じように使徒たちは、教会のキリスト者に支えられて、その使命を果たすのです。
そして各教会を巡回する使徒もいます。その人たちもまた、遣わしてくれた教会と訪問先の教会の兄姉に支えられるのは当然のことでした。
しかし、パウロがテサロニケを訪問し、その働きをしていた時には、パウロは自分で働き、生活をしながら教会で教えていたのです。

ここではそのことを「権利」があったけれどもそれを用いるよりも、労苦して教会のために奉仕する姿を見せて、模範となったのだと言います。
テサロニケのキリスト者にも、その生き方を見習って欲しかったからです。
それは、この頃、テサロニケの教会には、怠惰な生活をするキリスト者がいたからです。
彼らに同調してほしくなかったのです。

しかし、パウロが強く訴えたいのは、労苦して働き、礼拝をしなさいということではありませんでした。
5節に記されるように、キリスト者の心が、いつも神の愛とキリストの忍耐に向けて欲しいということです。
神の愛とキリストの忍耐が、共にない労苦ではいけないのです。
私たちは、いつも神を愛して、キリストが耐え忍ばれたことに倣って歩むのです。
愛と忍耐の、どちらが欠けてもダメなのです。

シャローム