「ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器は失せた。」」サムエル記 第二 1章27節
今朝から第二を読みます。
第二は、ダビデのイスラエルにおける治世、ダビデの活躍を記します。
第一にも、既にダビデは登場しており、活躍やダビデの信仰の告白のことばも記されていますが、第一は、サウル王の下でのダビデの姿でした。
第二からは、ダビデが中心です。
1章は、改めてサウル王が死んだことが明らかにされます。
サウル王の最後を目撃し、それに関わったとダビデに報告をしたアマレク人の若者は、ダビデによって打たれます。
それは彼が、主を畏れることなく、主に油注がれた人、サウルに手を掛けたからです。
第一の最後を読むと、この若者の報告には嘘が混ざっていることが分かります。
しかし、ダビデはサウルの死を喜ばず(自分がもう、サウルに狙われなくなっても)、その死を悼むのです。
その心は、最後に記される27節に明らかです。
サウルもその息子のヨナタンも、ダビデは勇士として敬います。
そして、自分も含めて、主の器だと告白をするのです。
主の器との告白は「心もない道具」であることとは違います。
主に愛された主の物である器、大切な存在であるとの告白です。
その告白ができるダビデは、サウルに狙われている時でも、主の前に正しく行動できたのです。
今、ダビデはサウルを自分をつけ狙った悪意ある存在、敵としては見ていません。
主の器として敬意を払って、その死を悼み、歌を献げるほどなのです。
主の器として、主に愛されている自分であることをいつも意識して、同じように主に愛されている隣人を愛して接していきたい。
シャローム