「あなたは神の深さを見極められるだろうか。全能者の極みを見出せるだろうか。」ヨブ記 11章7節

ヨブの友人のツォファルが、訴えて糾弾するのは、ヨブが罪を持つ人なのに自分は正しいと主張する愚かな人だということです。
その主張の中で、ツォファルは、神が全能で義の方であり、人の罪を悉く知っておられるということです。
そのような神の前に罪を隠し通せるはずはないと訴えるのです。

そして、ヨブは神様のことを知らないのだと言います。
「神の深さ」「全能者の極み」を「見極められない」「見い出せない」といいます。」
さらに続く8節では「何を知り得るだろう」とことばを重ねます。
ヨブには、神様のことを何も知ることはできないのだと責めているのです。

ツォファルの主張は、ヨブが罪を犯したのであり、ヨブが元々から罪を持っていたのだということから始まっています。
そこが間違っています。
ツォファルこそ全能の神様の深さを知らないで、自分の知識に頼って、ヨブが罪を犯したと断定しているのです。
それこそ罪です。
神が、ヨブに罪があると語っておられないのに、ヨブに罪があると神の代わりに訴えることは罪なのです。

私たちは、私たちが信じる神様が私たちには見極められない深さを持つ方であり、見い出せない全能の力を持っておられる方だと信じ。
謙遜にすることです。
私には、神様のなさることの全てを知ることも、見極めることなどできないと告白す流のです。
隣人、友人をさばく人ではなく、どこまでも寄り添える人となっていきたい。

シャローム