「それで、私の咎を探し出し、私の罪を探り出されるのですか。」ヨブ記 10章6節

ヨブの悲しみ、苦しい心は極限を迎えました。
いえ、もう既に限界を超えていたのでしょう。
忍耐することの、静かに主の助けを待つことも、もうヨブにはできません。

その結果、ヨブは大きな間違いを犯します。ついに罪を犯してしまったのです。
ヨブは、自分は正しいことを行なっているのに、神様は、ヨブの罪をどうしても探り出し、友人たちを証人にまで立てて、ヨブを責めるのだと訴えるのです。
それは、神様よりも、自分の方が正しいと、言っていることになるのです。
それは大きな間違いであり、深い罪です、

ヨブに咎があったから、ヨブは打たれたのではありませんでした。
では何故?なのですか?
分かりません。人であるヨブには分からないのです。もちろん、私たちにも分かりません。
神様のなさることには、時に、私たちには分からないことがあるのです。
しかし、それでも神様は正しい方であり、愛の方であることは、決して揺るぎません。

人は、いかなる場合でも神様よりも正ことはないのです。
人は、それが自分自身のことでも、本当に正しいことが行えているのかは分からないのです。
しかし、その時でも神様は正しい。
神様は、私を愛しておられる。
神様の前に、私は小さいのです。
ああ、神は義であり。ああ、神は愛です。

シャローム