「あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。」テサロニケ人への手紙 第1 2章20節

17節には「あなたがたから引き離されていた」と、あります。
パウロが、テサロニケへ行きたい、訪問して会いたいと願いつつもそれができない状況が続いていたのです。
その期間は、パウロにとっては苦しく忍耐の時でした。
けれども、パウロは言います。身体は離れていても、心とたましいは近く、親しい関係であったのだと。
それは主イエスを真ん中にした関係、交わりがあるからです。

パウロにとっては、ここ20節で語る通り、彼らの信仰が守られて、教会生活が祝福されていることこそが、パウロの喜びだからです。
彼らの信仰が守られていることが、パウロ自身の誉に優って、栄光だと告白できるのです。
同じ、主イエスを信じる人が、信仰の友人として、イエス様を証しする同労者としていてくれることを、自分の喜びとできること。
自分自身の名誉に勝る栄光だと告白できる、そんな生き方をしたいものです。
友人のことを自分のこととして喜べる者でいつづけたい。

それができるならば、たとえパウロのように、無実で投獄されて苦しめられたとしても喜びがなくならないことでしょう。
そして、遠くの地に生きる同じ信仰を告白する友人がいることで喜びと希望を持って歩めます。
たとえ、隣には投獄されているキリスト者もいない、孤独な状況でも、主が共にいてくださることを覚えて、希望を失わないでしょう。

あなたは私の喜びですと告白できる人でいたい。

シャローム