「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。」 マタイの福音書 1章22節

今日から新約聖書の最初に戻って聖書通読とデヴォーションをします。
信仰の始祖と呼ぶべきアブラハムの名前が最初に上げられて、救い主イエス・キリストの誕生までを、大切なイエス様の系図を示してマタイの福音書は始まります。
この系図の一人ひとり、系図そのものに主のご計画があり、主の愛が注がれているのです。
名前が上げられている人の過ごした日々を、旧約聖書を開いて読めば、そこに主のあわれみと赦しを知ることができます。

今朝、開いたか所は、すべての出来事が成就するためであったという一言です。
旧約聖書の時代から、主はその時々に私たちに特別に語りかけてきてくださいました。
私たちの罪を赦すために救い主が生まれることは、偶然に起きたことではなく、突然に始まったことでもありません。
神様の前に罪を犯し、神様から離れて生きるようになった私たちを、なおも愛してくださった主が、私たちを主のもとへ帰ることができるように計画をしてくださいました。
その計画の一端を、時に叶って語りかけてくださっていたのです。
それがこの時、ダビデ王の家系から、神様が人となって生まれることで成就したことを示すのです。

二つのことを覚えました。
一つには、救い主の誕生が、歴史の事実として起きたこと。
もう一つは、主は、語られたことをすべて成就することができる方であると言うことです。

主が、語られたことは必ず成就し実を結びます。
しかもそれは良いこと、豊かな恵みとして私に実現するということです。
私たちが今、こうして聖書を開いて読んでいることは必ず成就します。
豊かな恵みとして。
期待して読み進め、私の中に糧としたい。

シャローム