「夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。」 ヨハネの福音書 21章4節
よみがえられたイエス様は、何度も弟子たちの前に姿を現して弟子たちを力づけ、神の国について教えてくださいます。
ここ21章は、冒頭でティベリアの湖畔で再び弟子たちに姿を現されたと、記します。
イエス様は、弟子たちに会いに来てくださったのです。
ところが、3節を読むと、ペテロが「私は漁に行く」と声を発し、他の弟子たちも「私たちの一緒に行く」と言ったのです。
彼らは、この時、何をするべきなのかが分かっていません。
何を目標とし、希望を持って待つべきかも分からないのです。
ですから、これまで慣れ親しんできた漁師としての働きをおこなっていこうとしているのです。
要するに、彼らは皆それがしたいからするのではなく、わけが分からないまま口を開き、一緒に行動しています。
そのような状況ですし、心の状態ですから、せっかく会いに来てくださったイエス様に気がつくことができません。
日曜日の墓場の前で、最初に会ったマリアの時とは違うはずです。
もう既に、何度もお会いしているのに分からないのです。
それはよみがえられたイエス様とお会いして信じた人ならば、何を目標にして希望を持って歩み出すのかが分かるはずでした。
しかし、それがまだ、よく分からないままなので、イエス様だと分からないのです。
それが弟子たちと私たちの、弱さというものです。
イエス様を信じたならば、目が開かれ、耳が開かれ、心も開かれて、信じることができるのです。
疑う心を自分の内側から追い出して、主に委ねていく時、私たちはイエス様の姿を見ること、分かることができます。
疑い迷うのではなく、委ねて従う心を大切にしていきたいものです。
私たちは、今度は再臨のイエス様を見ることになるのですから。
シャローム
