「サウルはダビデを見定めるために、同じ使者たちを遣わして言った。「あれを寝床のまま、私のところに連れて来い。あれを殺すのだ。」 サムエル記 第一 19章15節
サウルがダビデを殺そうと狙っていることに心を痛めたヨナタンは父であるサウルに進言します。
ダビデはサウル王に心から仕えてイスラエルに勝利をもたらしたと語ります。
そしてサウル王もそのことを喜んでいたことを訴えます。
息子ヨナタンの言葉を聞いて、サウル王はダビデを殺さないと約束をするのです。6節
しかし、再びわざわいをもたらす主の霊がサウル王に臨むと、サウル王はダビデに槍を投げつけて殺そうとします。
その場は逃れたダビデですが、サウル王は使者を送ってダビデを捕らえようとします。
その時の言葉がこの15節です。
「あれを殺すのだ」とは、サウル王が自分の手でダビデを殺すという激しい言葉です。
どこでサウル王は間違ってしまったのでしょうか。
息子のヨナタンの言葉も、サウル王の心を動かすことはできないのです。
分かっていることがあります。
ヨナタンにダビデを殺さないと語っても、誓ったとしても駄目なのです。
何故なら、サウル王は、もうずっと主に祈っていないのです。
ダビデを憎み、狙ったことを後悔することはあっても、主の前に悔い改めていないのです。
主の赦しと主の助けを心から祈っていないのです。
ですから直ぐに心を翻して、再びダビデを殺そうとします。
それも自分の手で必ず殺すのだと、恐ろしい言葉を臣下たちに掛けるほどです。
主の前に立ち返り、主に祈ることがなければ、良いおこないをすることはできないのです。
自分に力がなく、足りないことばかりがあったとしても、主に祈り、主の助けを求める者には主が恵みで答えてくださるのです。
しかし、祈ることを忘れ果ててしまった人には、自分の行動を変えていくことはできないのです。
シャローム