「こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。」 エステル記 7章10節
エステルが、ゆっくりと時間をかけ、また冷静に事を運んで、ついに王にハマンの悪事を訴えます。
6節のエステルの言葉は、簡潔で非常に強い訴えです。
これまで、何度も何を望んでいるのかと、エステルに問いかけてきた王は、エステルが本当に王である自分に訴えたいことがあると想像はしていたのです。
それも、謙遜に王に仕えてきたエステルが、規則を破ってまで訴えたいこととは、よほど重要なことと思っていました。
ですから、ハマンのことを「悪人ハマンです」とのエステルの訴えに、直ぐに答えるのです。
それなのに、ハマンは従順に行動するのではなく、裏でエステルに取り入ろうとします。
しかし、その態度、行動が王の怒りを倍増させるのです。
ハマンがモルデカイを亡き者にして、自分の心を満足させようと企み、準備した処刑のための柱は、ハマン自身が掛けられることになりました。
敵を憎むのではなく、正しい行動を信仰によっておこなうならば、その行いによって、敵は自分で自分の頭に燃える裁きの炎を置くことになるのです。
エステル記の最初に記される王妃ワシュティに対する怒りのように、この王様は、怒りを発露させるのにはあっという間です。
しかし、王の庭に勝手に入ってきたエステルには、少しもその怒りの矛先は向きませんでした。
やはりエステルの、日々の謙遜で愛のある行動がこの怒りやすい王様の心にも届いていたのだと思います。
また、主が背後で王の心にも働いてくださったのは確かでしょう。
私たちは、いつも怒りに身を任せないで、主に信頼し、主に期待して謙遜で愛のある行動をしていたいものです。
シャローム
