「ハマンはモルデカイが自分に対して膝もかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。」 エステル記 3章5節

ユダヤの神、主である真の神、唯一の神だけを信じるモルデカイは、捕囚の身で生活をしていても、神、主以外の存在を信じたり、従ったりしません。
その国で生活をするのには、誠実に愛とあわれみを持って行動をしますから、敵、支配者とも言える王に対しても、誠実に仕えます。
暗殺計画も未然に防ぐという正義とあわれみを行います。

しかし、王の重臣とはいえ、ハマンに膝をかがめて、ひれ伏すことはしません。
それは神以外のものを、あがめることになるからです。
その結果、ハマンはモルデカイに対して激しく怒り、その怒りはユダヤ人のすべてへと向かいます。

ここに神、主を信じてはいない人々の間で生活をする時の、難しさを感じますし、試練だとも思います。
モルデカイは信仰を貫きますが、その結果、人文だけではなく同胞のユダヤ人のすべての人に命の危険が迫るのです。
それを防ぐのには、ハマンに膝をかがめてひれ伏せば、それでよいのでしょうか。
それは信仰の妥協であり、罪に直結するのではないでしょうか。

では、ではどう戦い、この試練に立ち向かえば良いのでしょうか。
答えは直ぐに出ません。
ただ言えることは、主を信じ抜き、主に信頼すること無しには、解決も平安もないと言えます。
ハマンに膝をかがめてひれ伏したら、その瞬間に平安はなくなるでしょう。それは避けなければいけない。

敵の怒りに対抗するには、私たちは、主の愛でしか戦えないと、モルデカイの行動から教えられます。

シャローム