「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」 ガラテヤ人への手紙 6章15節
主イエスを、救い主として信じた人の信仰生活の実践について、パウロは手紙の最後にまとめて語ります。
罪を犯した信仰の友人、あるいは誘惑に陥ってしまった信仰の家族に対しては、さばくのではなく柔和な心で正すように教えます。
それはこの頃には、教会の中にも幾つもの誘惑や罪が入り込んでいたからでしょう。
さばかないで、重荷と負い目をその人と分け合って、しかし、正しいことを示すのです。
難しいことですが、失望しないで、あきらめないで善を行い続けるように教え励まします。
興味深いのは11節で「こんなに大きな字で、自分の手で書いています」と、ことばがあることです。
パウロは目が悪かったようです。そして、そのため先生と呼ばれながらも、パウロの書く字は奇麗ではなかったのでしょう。
そしてそのことを批判する、偽教師や敵対する人がいたのでしょう。
ですから、パウロはあえてその弱点をさらし、明らかにして、自分も批判されてもあきらめないで、善を行い続けているのだと、模範を示して読む人たちを励ましたのです。
そして何よりも大切なことは、私たち、イエス・キリストを信じた人はみんな、主によって新しく創造された人なのです。
罪の中にいたかつての自分とは違って、イエス様によって造り変えられた新しい私なのです。
割礼を受けていなくても、割礼を受けてきたユダヤ人と何も変わらないどころか、もっと良い存在になっているのです。
ですから、新しい私は、主に信頼して善を行い続けるのです。
それは必ず実を結ぶから。
古い私は既に過ぎ去っています。
私は「私は新しい私です』と胸を張り。
主の愛を受け取って、主の前に善を行い続ける人として、信仰生活を歩みましょう。
大胆に、パウロのように大きな字で書くように、弱点をも強みとして歩んで行きたい。
シャローム
