「一切のことを、愛をもって行いなさい。」 コリント人への手紙 第一 16章14節
愛をもって行いなさいと言われたならば、それは正しい教え、命令であり、守ろうと考えます。
しかし、すぐにそれは簡単なことではないと分かります。
しかも一切のことを愛をもって行うのです。可能なのでしょうか。
パウロは、何を根拠にしてこう命じるのでしょう。
もちろん、キリスト・イエスに愛されている者として、その愛をもって行動するのです。
愛されて、キリストの愛の使者として送り出されているのだから、そうするのです。
しかし、パウロはもっと強い意味で語っています。
この手紙の最後にパウロはこう言い切っています。
「主を愛さない者はみな、のろわれよ。」22節の言葉です。
この「のろわれよ」は、当時の手紙の終わりなどに記す「定型文」だと言われます。
しかし、愛さない者は、キリストの愛を失ってしまうことを覚悟するほどに、愛をもって行うことを意識するのだと、パウロは言いたいのです。
簡単に愛をもって行うなどとは言えないのです。
こう言い切るパウロは、命がけでキリスト・イエスを愛し、その愛をもって自分の使命に取り組んでいるのです。
こう言われてしまった当時のコリントの教会は愛を失い、迷ってしまっていたのでしょう。
私たちは、最初にキリスト・イエスを愛することから始めたい。
そしてキリストの愛を少しでも自分のものにしたい、キリストの愛をもった人に少しでも近づきたいものです。
愛せない、愛の足りなさを知ることが大切です。パウロはそう言いたいのです。
シャローム
