「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。」 詩篇 121篇1節

詩人は、苦難の最中にこの声を上げています。
「どこから来るのか」と、言っていますけれど、どこから来るのか分からないのではありません。
続く2節で「主から来る」と、声を上げています。
それも「天地を造られたお方」なのだと、確信して声を上げています。
誰か分からない方からの助けを望んでいるのでも、待っているのでもないのです。
この1節のことばは、2節の確信を強調する表現なのです。

詩人は苦難の時に、わざわいの時に祈り求めるべき方を知っています。
それどころか、詩人が助けを祈り求めるならば。この方が詩人を守り、助けてくださることを知っています。
今もとこしえまでも、このお方、創造主である主が詩人を助けて守ってくださるのです。

苦しみがある朝も、悲しみ痛む夜も、必ずこの方が助けてくださるのだと、知っているのです。
ですから、悲しみや苦しみを受け止めて、その上で主に祈り求めるのです。
助けがあることを知っているからこそ、声を上げて祈るのです。

私たちも確信の祈りをしよう。
主の礼拝の日曜日です。ともに集まり、励まし合いながら祈り、賛美しましょう。

シャローム