「こうして、ダン族は去って行った。ミカは、彼らが自分よりも強いのを見てとり、向きを変えて自分の家に帰った。」 士師記 18章26節

18章を読むと、ダン部族もここに登場するミカの家の人たちも、神、主を忘れて好き勝手に生きているんだなぁと、私の心まで暗くなります。
祭司を家におく、エポデやテラフィムのような儀式に用いる道具をいくら揃えて、神を礼拝しているようでも、彼らの心は真の神、主には向いていません。
ここで祭司と呼ばれている人も、まったく神に仕えてなどいません。
その家の主人、彼を頼るダンの人たちが喜ぶ答えを語るだけなのです。

ここには、21節、26節と「向きを変え」という言葉が繰り返されています。
進軍する足を進める方向のことを言っているだけですが、象徴的なことばに聞こえます。
本来ならば、彼らは、どこかで一刻も早く心の向きを変えて主を見上げて、主に従う歩み方をするべきだったのです。
変えるべき方向がありました。
そうすれば占領地をうまく手に入れるよりもはるかに素晴らしい祝福を主から与えられたはずです。
残念ながらそれができず、やがてダン部族は力を失っていくのです。
目先の利益を見るのではなく、主を見て、見続けて歩みたいものです。

シャローム