「あなたがたは、わたしのすべての掟とすべての定めを守り、それらを行いなさい。わたしは主である。」レビ記 19章37節 (2017新改訳)
「わたしは主である」
ここ19章は、主が命じたことばの後にこのわたしは主であるとの宣言が15回も登場します。
3節に1回以上繰り返されるのです。
わたしは主であると、聖書の神は、私に語りかけます。
ここに記されることばのすべては主が語っておられる、そのことを強く訴えるために、15回も繰り返すのです。
神が聖であるから、私たちにも聖であれと告げ、父母を敬い、偶像を崇めるな、像を刻むなと命じます。
19章を、声に出して読んでみてください。
主の命令が、次々と繋がっていることが分かります。
一つ一つの厳しい命令ではなく、すべてが繋がった掟であり、私が従えることばです。
収穫を取り尽くすな、貧しい人や寄留者のために、残しなさいと命じたら。
その次には、偽って誓うな命じるのです。
神を恐れよと続きます。
飛ばして読むことなどできないし、する必要がありません。
すべて大切で、価値のあることばです。
これらの続けて語られる命令を守ることは、苦しいことではなく、実は私たちが幸いに生きるための掟と定めになっています。
そして、そう命じるのは主です。そう語るのは、主なる方です。
その方が「わたしは主である」と、その掟と定めの根拠を主であることを示すのです。
主が、語るのだから、私は聞くのです。
主が、命じるのだから、私は守るのです。
そこには恵みと幸いが備えられているから。
主は私を祝福するために、この掟と定めを与えてくださった。
他の誰でもない「主である」と、私の主であることを宣言できる愛と力に富む方が、与えてくださったのです。
シャローム