「あなたがたは、わたしの掟とわたしの定めを守りなさい。人がそれを行うなら、それらによって生きる。わたしは主である。」レビ記 18章5節 (2017新改訳)
ここを5節までを読んで終わるならば、主は、命令を守らない者をさばいて滅ぼし、命令を守る者だけに良くしてくれるのだと、そのように反発して受け取る人がいるかも知れません。
そうではないのです。
そして祝福の約束のことばである5節の後に続くのは、十戒で言うところの姦淫するなということを、あらゆる面から指摘します。
そのような罪をおかすならば、人には知られることはなくても、主は知っておられます。
その主は、語られるのです。
そのような者は、主がさばく前に、祝福と平安を失う者となっているのだと、主は指摘するのです。
だから、主のことばを守りなさい。
それが祝福の源だから。
それが主の愛。
私への愛。
この5節のことばは、もちろん、守れと言う命令でもあるけれど、守らなければ「生きる」ことが困難になるということが教えられている。
私たちが、神のことばに聞こうとしないで、好き勝手生きるとき、自由で幸せに思えて実は、欠けや渇きを覚えて、空しい生き方になっていますのです。
わたしは主であると、宣言できる方が、守りなさいと語られることばに聞き従うことが、わたしの幸せな生き方の基本であり、日々の応用でもある。
貴方は、今日、本当の人生、日々を生きているでしょうか。
シャローム