「植える者と水を注ぐ者は一つとなって働き、それぞれ自分の労苦に応じて自分の報酬を受けるのです。」コリント人への手紙 第1 3章8節

コリントの教会の中にあった争いについてパウロは福音の真理によって教えます。
互いに自分が優れていると考えて競い合うならば、それはイエス・キリストを信じる前の自分のままなのです。
イエス・キリストを信じた人は、キリストにあって生きる人に変わったのです。
人がキリストに出会い、キリストを信じるようになるために、先に信じた人は用いられるのです。
ある人は福音の種を蒔き、植えます。
別のある人は、成長するように水を注ぎます。
どちらが優れた働きだと比較などできません。
ここでは「一つとなって働き」とありますが、ここは「一つであり」とも訳せます。
それぞれが別の働きではなく、一つの働きです。
主によって一つの働きとされているのです。

そして飢える人、注ぐ人自身が、この働きによって成長するのです。
それが主から受けとる報酬です。
この地上での金銀という報酬ではなく、キリストに愛されて成長するという報酬です。

人によって労苦が違うように感じます。しかし、本当はキリストにあって一つなのです。
キリストの人生を生きる人となって一つになって生きるのですから、労苦も一つです。

報酬に目を留めるのではなく、一つとなって働く生き方に移っていることに目を留めたい。

シャローム