「見よ。わたしはあなたに縄をかけ、あなたの包囲の期間が終わるまで寝返りができないようにする。」エゼキエル書 4章8節

8節では、エゼキエルは捕囚の民の立場に置かれた形で、主のことばを預かっています。
捕囚の民となるのは、イスラエルの人々が自ら招いたもの、主の前に罪を重ね、いつまでも悔い改めなかったからです。
縄をかけられて遠い国へ連れて行かれることが、ここで示されています。それは主のさばきだということです。

寝返りもできないほどに不自由な生活が待っています。
主が、赦してくださるその時まで、さばきは取り去られることはありません。
自分たちでどうにかできるものではないのです。
それは自分たちの罪と咎のためです。

主は、このさばきをこうして前もって語ってくださった。
主は、苦しめたいのではなく、主の前に立ち返って欲しいのです。
主は、それなので厳しくさばくのです。
主が、縄をかけてくださるということは、主との関係は途切れていないということでもあります。
主は、どこまでもあわれみ深い。

シャローム