「しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」 ペテロの手紙 第二 3章8節
主イエスが再びこの地上に来てくださるという約束は確かなものなのかと疑い、人々を惑わす者たちが現われることをペテロは警告します。
主の約束は確かであることを、ノアが箱船によって守られたこと、その日には大洪水が起きたことを引用します。
さらにここで、約束の来臨の日は、決して遅れているのではないと教えます。
何故なら、天と地を造り、時を造り、司られているのが主だからです。
主の前には、一日は千年のようであり、千年も一日のようなものなのです。
主は、時を超えたところにおられます。
歴史という時の流れの外に存在しておられて、その方が私たちを愛してくださって、私たちの歴史に、時の中へと飛び込んでくださるのです。
さばきの日、再臨の主イエスのとの再会の時は遅れているのではないのです。
主が、罪人が一人でも悔い改めるようにと、忍耐して時を司られているのです。
私たちは執行猶予の時間が与えられているようなものです。
しかし、同時に主には千年も一瞬です。主は今すぐに来られるかも知れません。
私たちは、いつ主にお会いしても恥じることがないように、忍耐して主イエスを証ししながら、その時を待つのです。
シャローム