「民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」」 ルカの福音書 23章35節

「他人を救った」けれども自分のことは救えないのだと、民衆は嘲笑っています。
祭司長や律法学者たちに扇動されています。けれども民衆にも罪があります。
23章の最初には、祭司長たちがイエスを訴え始めたと記されています。
彼らと一緒になって、民衆もイエスを苦しめています。
「あれは」と侮辱した表現を使っています。
けれども「他人を救った」と証言もしてしまうのです。
民衆は、イエス様の愛の行動、業を目撃していました。
知っていたのです。
しかし、彼らは罪を犯した。

人々は自分こそは正しく、訴える立場だと勘違いしています。
いえ、自分の罪を認めたくないので、イエス様を排除しようとするのでしょう。
自分の罪を隠したいのです。

「父よ、彼らをお赦しください」と、彼らの罪のある行動を、イエス様は父に取りなしをされます。
彼らこそ、本当は、イエス様に訴えられなければならない立場の罪人なのです。
それがイエス様の身代わりの業で赦されていくのです。

あざ笑って、他人を救ったなどと口にするのではなく。
イエス様、私をあわれんで、私を救ってくださいと声を上げることができる素直な心を持つ人でいたい。

シャローム