「しかし、終わりの日になると、 わたしはエラムを回復させる。 ー主のことば。」」エレミヤ書 49章39節
39節は、滅ぼされたエラムが主によって回復することの預言です。
同じように、6節にはアンモン人の回復の預言があり。
48章47節には、モアブ人の回復の預言があります。
ここまでを読むと、主をあがめることもなく、自分たちを誇り、好き勝手に歩んできたエラムが徹底的に滅ぼされることが示されて来ました。
町や宮殿は滅び、財産や家畜までもが敵に奪われます。
人々は、あらゆる方向へと散らされて行きます。
何も残らないのです。
力を誇り、高ぶった心が砕かれて、なにもかもなくなるのです。
それなのに、エラム、アンモン、モアブと赦されて回復することが示されます。
滅び、さばきの後の回復までが主のことばです。
それはやがて赦されるのだから安心して良いというメッセージではありません。
当然のことです。
しかし、とあるように、主のあわれみは大きいのです。
さばきは徹底します。
しかし、主の前に帰って来て、徹底的な悔い改めをする人には、回復という希望が残されるのです。
主は、滅ぼしたいのではなく、罪をおこなった者たちが、悔い改めることを望まれるのです。
さばきをおこなうことができる方、主が、回復も約束できる方なのです。
主だけを、主だけを頼りとしたい。
シャローム