「キリストにある私たちの同労者ウルバノと、私の愛するスタキスによろしく。」 ローマ人への手紙 16章9節
ここ16章の最後の部分には「プリスカとアクラ」のように聖書に何度もその名前が登場していて、パウロとともに宣教の働きについていたことが知られている人の名前も見ることができます。
そして、何人もの名前が上げられています。感謝の言葉と共に記されています。
投獄されたり、船が難破して命の危険を感じることも何度も経験したパウロとしては、手紙の最後に感謝を表さないでは、筆を置くことができない人たちの顔が思い浮かぶのです。
一つの大きなことがそこにはあります。
「キリストにあって」という事実です。
ただ親しくした友人の名前ではないのです。ある町で、パウロを助けてくれた人、というだけでもないのです。
宣教の働きを共に協力した人もいます。親しい交わりを通して励まされたという人もいます。
ここに名の上がる「ウルバノ」は、聖書中でここだけにしか登場しません。
どんな人なのか?素性も不明です。
ただ一つ、はっきりしていることがあります。
「キリストにあって」という事実です。
キリストを真ん中にした交わりであり、宣教の協力をしてきたのです。
そこには愛があります。後半は「愛するスタキス」と挨拶を送っています。
私たちは、一人ひとり、キリスト・イエスを土台に置いて、信仰生活を送っています。
主イエス・キリストに、罪が赦された罪人だった私たちです。
その私たちは、パウロとウルバノがそうであるように、また、アクラとプリスカもそうであるように、キリストにあって、結び合わされてる大切な大切な信仰の友人なのです。
私たちの交わりも、私たちの間の喜びも、すべて、キリストにあって、存在し、価値あるものなのです。
今朝「キリストにあって」という、ことを覚えておきたい。
このみことばのメールも、キリストにあって、貴方と私は結び合わされていることを嬉しく思います。
シャローム