「初めからあったもの、私たちが聞いていたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて」ヨハネの手紙 第1 1章1節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ヨハネの手紙 第1です。
短い手紙が三通、ヨハネの手紙として収められています。
ゼベダイの子である使徒ヨハネが書きました。
ヨハネの福音書を執筆した後、そしてヨハネの黙示録を執筆する前に執筆をしたと考えられます。
時代としては、80年代後半から90年代の初めです。
エペソの町で執筆をしたと思われます。
この頃の教会には、イエスがキリストであることを否定し、神の子であることを認めようとしない異端が入り込んで来つつありました。
異端の者たちは、キリストが肉体を持って地上に来られたことを否定するのです。
それなので、ヨハネはこの手紙の冒頭の1章1〜3節で、イエスとの交わりが、私たちとの五感で認識できる、確かな実体のある存在、完全な人として地上に来てくださったことを示します。
異端の教えを排除することで、私たちの信仰を確かなものとして、信仰者としてしっかり歩めるようにと、ヨハネは教え導くのです。
十字架に架かる前のイエス様と一緒に町や村を歩き、イエス様が人々に教えているのを間近で見聞きしてきたヨハネが、後に続く私たちが正しく信仰を理解して、信仰理解を深めることができるように書いてくれたのです。
異端に対する警告のためにこの節のことばは書かれていますが、その内容は私たちにも活き活きと伝わり、私たちもまた、現代においてそれを実感できるものです。
「すなわち、いのちのことばいついて」
私もまた、活き活きと生きたことばとして聞くことができます。実感することができます。
聖書の神を信じることは、体験することです。
初めからあったものなのです。イエス様の存在は初めから、この当時も、中世の時代も、今も、決して変わることがなく、あるのです。
だから、私はヨハネと同じ信仰の心と生き方で、このイエス様を感じることができるのです。
それは素晴らしい恵みです。
シャローム