「すると彼は言った。「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください。」」 出エジプト記 4章13節
燃えていても燃え尽きることがない柴を目撃し、その中から主に語りかけられたのです。
そして、痛みを知っていると、声をかけられて、同胞イスラエル人を救い出すために、立ち上がり出かけよ、そして語れと命じられたモーセなのです。
どうしてここまで拒むのでしょう。
「私が行きます」「私を遣わしてください」「はい」「従います」
何故、そのようには答えられないのか。
モーセは恐れ、しかし、嘘をつけないのです。
神を信じているので、その方を前にして、いい加減な返事はできないのです。
でも、間違っていました。主は、ついに怒りを燃え上がらせるのです。
しかし、主は、モーセを退けて、他の人を遣わすことはしないのです。
召された者は、召しに答えるのです。
恐れは、主への期待へと変え。
力の無さは、空っぽの器に、主が力を与えてくれるのだと信じます。
心から、恐れながらでも「ああ、わが主よ」と祈れるのならば、それで十分です。
主を知っている人を主は見ていてくださるから、そしてともにいてくださるからです。
「ああ、わが主よ。恐れます。しかし、あなたが行けといわれるのならば行きます」
今朝の、私たちの祈るべき言葉です。
シャローム