「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」 コリント人への手紙 第一 6章20節
15、16、19節で「あなたがたは、知らないのですか」と、3回繰り返されています。
最上級の強調です。
パウロが強調するのは、主イエスを信じた者の「からだ」についてです。
キリスト者は自由に生きることができます。鎖に繋がれたような生活はしません。
しかし、自由だと言って遊女と交わる生活をすれば、自分で自分自身を遊女とすることになります。
また、教会の兄姉と赦し合うのではなく、さばき合うのであれば、神のきよさと神の義から離れた生き方となります。
その人のからだは、もはや主と一体なのではなく、罪と一体となってしまうのです。
しかし、私たちはよく知るべきです。
私の内側には、聖霊様が住んでいてくださるのです。主は、それを指して聖なる宮となっていると、教えてくださいました。
それならば私たちは、毎日の生活を通して、私を愛してくだっさっている神様の栄光を表すような生き方をするべきです。
いえ、できるはずです。
イエス様の生き方に倣い、イエス様の愛をいただいて行動するならば、そこに神様の栄光が見えるのです。
神様の栄光は、特別なことをするのではなく、謙遜で愛のある生き方や節度ある態度に現れます。
私のからだは、もう既にキリスト・イエスのものです。
小さな存在のはずの私のために、イエス様はご自分のいのちという代価を払って、私をキリストのものとしてくださったのですから。
シャローム