「ところがヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えようとせず、かえってその心を高ぶらせたので、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。」 歴代誌 第二 32章25節
圧倒的な戦力でユダに攻めてきたのがアッシリアの国でした。
アッシリアの王は、ユダの王ヒゼキヤを愚弄するだけでは終わらないで、神、主に対しても悪口を言って馬鹿にしたのです。
しかし、ヒゼキヤ王と預言者イザヤは、主に助けを祈り、天に叫び求めました。
その祈りに対して、主は答えてくださり、ユダをアッシリアの脅威から救い出してくださいました。
こうして守られたヒゼキヤ王とユダだったのです。
ところが、私たちの心は弱く、信仰も弱いものです。
主によって助けられた恵みを、ヒゼキヤ王は忘れてしまい、その心はむしろ高ぶってしまったのです。
それは主の恵みに感謝することを忘れ、心からの礼拝と祈りを忘れてしまったということです。
窮地になって心の奥底から主に助けを求めたはずなのに、助かって安心すると、その心は高ぶるのです。
なんと私たちは愚かなのでしょう。
主は、ヒゼキヤ王とユダとエルサレムの町に御怒りを下します。
祈り叫び、助かった時、感謝と謙遜な心を失ってしまうのが、私たちの罪の深さだと教えられます。
高ぶる心を捨て去り、主の前に謙遜に祈る者でいたい。いつも。
シャローム